40代の男性2人、1人はスーツ、1人はキャップをかぶっている。よく晴れた土曜日の昼下がり。
スーツの男「440円でいかがでしょう?」
キャップの男「それは…いくらか高すぎやしないかい?」
スーツの男「いいえ、そうはいきません。しっかり払わせて頂きます。一字を1円と換算しまして、きっかり440円、払わせて頂きます。」
キャップの男「ああ、440円。あの手紙、440文字だったのかい?」
スーツの男「そうですね、『敬具』まで含めてきっかり440文字でございました。」
キャップの男「いや、そんな…良いんだよ、たかが手紙一通、届かなかったことくらい。たいしたことではないんだ。大体、手紙なんて書かなくてもどうとでも連絡くらいとれるさ。」
スーツの男「寛大なお心、感謝致します。大体のお客様は手紙が届かなかったと聞かされると憤慨なさるものです。」
キャップの男「別にあんたのせいじゃないんだろう?なんかこう、いろんな理由で、届かなかったんだろう?」
スーツの男「ええ、そうですね。相手様のご住所が無効であったり、受け取りを拒否なされたり、その他いろいろ、ございますね。」
キャップの男「良いさ、届いてるのに返事がないことの方が、悲しくなってしまうからさ。届かなかったんだと分かっている方が楽さ。所詮、一方通行の言葉が行き交うだけなんだから。」
スーツの男「そういうものですか?」
キャップの男「そういうもんさ。あんた、手紙書いたことないのかい?」
スーツの男「そうですね、記憶を辿ればあるかもしれません。年賀状は毎年書いています。」
キャップの男「手紙ってのは皮肉なもんだよ、相手に何を書いたかほとんど覚えてないのに、相手の言葉は実態を伴って自分の手元に残るんだ。恐ろしいのに、それがどうしても必要なんだ。」
スーツの男「ならば、440円は安いのではないですか?」
キャップの男「自分の言葉なんざは、いいんだよ。相手にかすりもしなければ過去の自分の怠慢でしかないんだよ。」
スーツの男「しかし、440円はやはり、払わせて頂きます。」
キャップの男「まあ、もらえるもんはもらっとくよ。しかしこの金どっから出てるんだい?」
スーツの男「それは企業秘密なので、お答えできません。」
キャップの男「別に良いけどよ、ほんじゃ、ご苦労さん。」
スーツの男「今回は誠に失礼いたしました。またのご利用、お待ちしています。」
キャップの男は手に入れた小銭をポケットの中でジャラジャラと鳴らしながら去っていく。
20代前半の男女、夕方、天気予報通り雨が降っている。
女「私、傘クラッシャーとして有名なんです。」
男「そんなに壊すんですか?」
女「3年に2本くらいのペースで壊しています。長傘も折りたたみ傘も。」
男「確かにちょっと壊しすぎですね。」
女「この傘も実は壊れています。骨の部分が、ほら」
男「本当だ」
女「閉まりきらないから、こうやって無理やり畳まないと折り畳み傘としての役割を全く果たしてくれません。」
男「買い替えないんですか?」
女「これ以上、年間のクラッシュ率を上げたくないんです。」
男「ということは実質、1年に1回くらいは壊してそうですね。」
女「この子は、色がとても気に入って買ったんですけど、」
男「確かに美しいブルーですね。」
女「ネイビーにするか悩んで、無難なものは避けたい気分だったんでしょうか、目をひくブルーにしました。」
男「そういうのはその時の心に従うのが一番です。」
女「とても風の強い日に、この傘を初めて使ったんです。」
男「嫌な予感がしますね。」
女「橋の上でした。地元の、横幅20mくらいの川です。ビューッと風が吹いたその時、傘は見事に反対方向に裏返ってしまいました。あまりに一瞬のことだったので傘を守ことはできませんでした。」
男「傘を守ろうとしたことがなかったので、なんというか、心がげがクラッシャーとは思えない。」
女「クラッシャーだから守るんです。」
男「ほう」
女「それからです。骨がもう元には戻らなくなってしまいました。」
男「なんと、使用初日から悲しいですね。」
女「でもよく考えたら、その日、本当に風は強かったのでしょうか。」
男「というと?」
女「いや、あの日本当に風が、傘をひっくり返すほどのパワーを持っていたのか?と。橋の上だから風が少し強いのであって、橋を通らなければ傘は使用初日に裏返ることなんてなかったんじゃないでしょうか。」
男「橋を通らなくても良かったということですか?」
女「橋は、通らなくてはいけませんでした。そうでないと祖母に会いにいけなかったので。」
男「それならばその道筋は、そういうものだったのでしょう。」
女「祖母にクラッシュしたことを笑われてしまいました。」
男「クラッシャーとして有名ですからね。」
女「祖母は英語の教師だったんですけど、『crusher』って『決定的な事実』っていう意味があるらしくて、もうどうしようもなくなってしまいました。」
男「それは、おばあさんが一枚上手でしたね。」
踏み切りが開いて、それぞれのホームに向かう。